2005年3月 3日

自分の進む道に迷いが生じたとき

特に今の仕事に移ってから、ついつい事務作業に忙殺され、この仕事の「原点」である「人とのふれあい」を忘れかけたり、また時として、自分が福祉を志した「気持ち」に迷いが生じることがあります。そんな時は、再び「原点」に戻るために車の中などで聴く歌があります。

●さだまさし「風に立つライオン」
●SMAP「世界でひとつだけの花」

です。

どちらも有名な歌ですから、皆さんもお聞きになったことがあるのではないでしょうか。

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社会福祉施設職員としての現在の仕事

●2001年 4月 社会福祉士 国家試験合格・登録

●2001年12月 会社退職

●2002年 1月 現職場へ転職~現在に至る

しょうがい関係の社会福祉施設(成人・通所部門)で支援職員として勤務しています。

転職から1年余りは支援係長と兼務して、作業科目に関連する調理業務にも従事していました。もちろん今までの人生で白衣を着たことはおろか、包丁もろくに握ったことはなく、転職当初は本当に悪戦苦闘でした。また、このような作業支援がいったい何になるのか、自分は福祉施設に転職したのにどうして調理師みたいな仕事をしているのだ、といったことに悩むこともありましたが、いつしかそのような悩みも消え、今は「自分も利用者と一緒に成長していくのだ」「一見虚しく思えるどんな仕事でも、必ずどこかで福祉につながっている」という積極的な考えをもって日々利用者支援を行なっています。

現在は支援課長を主務に、前述の作業支援を補助しながら、どちらかと言うとスーパーヴァイザーのような仕事に軸足を置いています。また、経歴からそうなったのか?法人全体の権利擁護活動もさせてもらっています。

蛇足ですが、今の職場では私が最初の社会福祉士で、私が入った年に総合施設長を含め3人、その後1人が社会福祉士を取りました。

●2005年1月 同法人内の「児」の施設へ兼務発令

兼務先では直接支援には携わらず、新規事業の起業や運営管理を担当しています。前にも増して目まぐるしい日々を送っていますが、請負ったからには全力投球、弱音は吐かず業務の完遂を目指します。

なお蛇足ですが、せっかく「児」の施設に関わらせていただくのだから、「保育士」の国家試験を受験しようと思い立ち、勉強を始めました。この年になって「保父」というのも笑ってしまいますが、本人は至って真剣、「おやじ保育士」を目指してピアノなどもやってしまおうかと・・・

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2005年3月 2日

転身への志

昨日の記事に書いたとおり、そもそも私は福祉とはほぼ180度異なる世界に身をおいており、しかもその世界が決して面白くなかった訳でも、つらくて逃げ出したかった訳でもありません。何かのきっかけでもない限り、恐らく会社生活を続け、いっぱしに部長か課長あたりで定年になり、それなりの退職金と年金で余生を過ごすというごく平凡な人生を歩んだことでしょう(もちろん、福祉の仕事とて実は特別なものでも何でもなく、まずは「仕事」自体が平凡であることが、ノーマライゼーションの前提条件であると個人的には思っています)。

ただし、まずひとつ言えることは、プロフィールにも書きましたが、大学時代から漠然と北海道にはいずれ住むことになるだろうと思っていました。

それでは、その「きっかけ」とは何だったのかというと、なかなか体系的に上手く説明できないので、いくつかの事柄を挙げた上で、それらがやや偶発的な「条件」と重なり、運命に導かれたというとキザでしょうか?

●大学(法学部)卒業後、余り考えず安易に誰もがなる「サラリーマン」になってしまい、何となく「資格」を活かせる仕事に未練があったこと
●近親者に福祉関係者と社会福祉士がおり、この「資格」に興味を持ったこと
●身近に「福祉」「支援」「支えあい」といったキーワードを意識するようなできごとがあったこと
●会社時代に出張したデンマークで、福祉のみならず「生活」自体の地域共生という息吹にふれたこと
●出身大学の建学の祖「大隈重信公」が唱えた「在野の精神」が多少?頭の片隅にあったこと

と言ったところです。

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2005年3月 1日

大手企業営業マンとしての経歴

1990年 4月 某株式会社入社(総合重工メーカーで唯一オートバイを製造している会社と言うと判ってしまいますか)

環境装置部門(ごみ焼却施設やリサイクル関連設備など)の人事・勤労職として配属され、その後企画畑、営業畑と歩み、営業係長で退職しました。

中でも営業職が最も長く、最初は自治体向け、次に民間向け、そして最後は新製品の開発営業に従事しました。

会社生活で一番思い出に残っている仕事は、新製品の営業で、家畜糞尿(要するに牛のウンコ)を発酵してガスを取り、それで発電をするというプラントを北海道で受注したことです。このことで北海道との結び付きもより強くなり、その後の人生に少なからず影響を与えたことは間違いありません。

この仕事では、初めてドイツとデンマークの海外出張を経験させてもらい、今は「壁」のないベルリンの視察、そしてデンマークでは首都コペンハーゲンはもちろん、提携先である「フォルケセンター・フォー・リニューアブルエナジー(再生可能な自然エネルギー研究所)」や、岩手県出身の日本人(デンマークに帰化)ステファン・ケンジ・スズキ氏が主宰する「風のがっこう」での自然エネルギーの研修は一生忘れられません。

余談ですが、デンマークは世界有数の高福祉国家であると同時に、原発廃止後は、風力、家畜糞尿、太陽光などに軸足をおくエネルギー政策を採っています。また気候風土が北海道とよく似ており、今後本道が道州制を議論する際、福祉と環境という側面で先輩と仰ぐ国になるのではないでしょうか。

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ご挨拶2

改めてはじめまして。

風邪の方は私は峠を越えましたが、まだ家の中はどことなくウィルスモードです。

さて、今日からしばらくは、私の「風変わり」な経歴や現在のことなどを紹介させていただきたいと思います。

何分「手前味噌」な内容で恐縮ですが、「こんな人間もいるんだ」と呆れていただければ冥利に尽きます。

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2005年2月28日

ご挨拶

はじめまして。

早速トピックを書きはじめたいのは山々なのですが、自分も含めて内の者が風邪でダウン中につき、先ずはプロフィールなどをお読みいただければ幸いです。

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