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2005年6月 1日

社会福祉士資格についての個人的所感

社会福祉士会のメーリングリストで、再びこの資格の意義や会の是非について論議されているようですので、約1年前に書いた私の原稿を投稿させてもらいます。

<この原稿は、(財)日本知的障害者福祉協会発行「さぽーと」(2004年5月号)に掲載されたものを、一部加筆修正したものです>

社会福祉士の資格が出来て十数年経ちますが、未だに公的な業務独占分野が無く、採用側が独自に採用条件にする等以外は配置基準すら聞いたことがありません。せめて配置に関し努力義務くらいあっても良さそうなものですが、それも無いようです。このことは他の福祉以外の国家資格と比較しても、取得した人にメリットが少ない資格だと考えられます。現在の内容ならせいぜい業界の検定試験程度でよく、他の検定試験でも実質的には採用基準や企業の評価基準になっていたりする立派なものも少なくありません(簿記、そろばん、英検、建築業経理事務士、他)。趣味の資格でさえ、その資格や級によって操作できる機械や乗物の範囲が限定されるのですから(アマチュア無線、船舶免許、他)、ある意味趣味以下の資格だとも言えます。

また、受験資格取得までに金銭的・時間的に相当の労力を費やす割には、いざ試験は簡単(合格率30%弱なので、国家試験の中では簡単な部類です)というのでは、受験者にとって負担と満足度とのバランスが悪い資格と言わざるを得ません。受験までのルートも異常に多様で、一見広く門戸を開放しているようですが、その分中間に様々な養成施設や通信教育などが介在する余地があり、受験ビジネスとしては格好の資格でしょう。これほど厳格な受験資格を要求する訳ですから、合格者の処遇がもう少し恵まれていても良いのではないでしょうか。受験資格不問かせいぜい高卒程度で受験でき、一定の独占業務をもつ国家資格はたくさんあります(宅建、行政書士、他)。

そうこうしている内に、高齢者分野では介護支援専門員(ケアマネージャー)、精神しょうがい分野では精神保健福祉士が登場し、医療分野では医療福祉士(仮称)なるものが論議されていると言うのですから、この資格の将来は一体どうなってしまうのでしょうか。我が知的しょうがい分野でも知的しょうがい福祉士なる検定試験が実施されていますから、福祉行政のタテ割り組織がそのまま資格にまで影を落としている構図で、これでは他業種と連携しろと言われても、そもそも業務範囲がバッティングしており、支離滅裂もいいところです。

蛇足ながら、介護福祉士と同じ法律でくくられているのも思えば変な感じですし、このことが社会福祉士の影を薄くしている遠因のようにも思えます。

ところで、かく言う私がこの資格を取ったのは、法学部出身で全くの異業種から転職した者として、この業界で仕事をしていく上での最低限の知識の証だと思ったからです。ところが、存外資格保有者は少ない。即ち、資格が無くても仕事が出来てしまう業界であり、むしろ資格よりは経験とカン、そして一種の名人芸・神技の様なものが幅を利かせている気がします。この業界で重宝される資格は、看護師、栄養士、調理師、並びに大型自動車免許です。

さて、長々とネガティブなことを書いてしまいましたが、別に自己卑下するわけでも、ましてやこの資格がダメな資格だと言っている訳でもありません。私は、この資格のハードルをもっと低くして、この業界の誰もが持っている空気のような資格、言わば教員免許のようなものにすれば、実質的な業務独占が進み、資格の地位や知名度が上がるのではないかと思っています。その為には、もちろん我々社会福祉士がひとり一人の職場・現場で地道な実践を積み重ね、また時としては声を大にして存在を主張しなければなりません。しかしながら、それだけではなかなか届く声も届かず、正直言ってジリ貧か下手をすると資格自体の消滅や統廃合ということも想定されます(国家資格の中で、今すぐ無くなっても国民が困らないものの最高峰だと思われます)。従って、業界団体等の行動を通して、法律改正も視野に入れた確固たる動きや、マスコミ等による社会福祉士の知名度アップ(ドラマやCM)といった大胆な発想も必要な時期に来ているのではないでしょうか。

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