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2005年3月20日

北九州地方の地震について

本日、北九州地方に大きな地震がありました。
札幌に住んでいる私にはテレビなどで入ってくる情報しかありませんので、現段階ではどの程度の被害が出ているのかはっきりとは把握しておりません。
被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。
北海道でもここ何年かの間にはそこそこの規模の地震がありましたが、西日本はどちらかと言うと地震が少ない場所と思っておりましたので、正直びっくりしました。
休日の昼間と言うことで、オフィス街では不幸中の幸いと言った感もあるでしょうが、その分住宅地での被害が大きいことが予想されます。
昨年の新潟の地震といい、もはや日本中逃げ場がなく、首都直下型の地震ももはや空想の世界ではないようです。
とにかく、政府には迅速な対応を期待すると共に、被災地の皆様が力を合せて頑張られることを、遠く北の大地より切にお祈り申し上げます。

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2005年3月12日

釣りとの再開2(トラウトフィッシング編)

前回に引続き、釣りの話を少々。
北海道に移住することには何の未練もありませんでしたが、唯一心残りだったのは、バスフィッシング(ルアーフィッシング)が出来なくなることでした。プロフィールにも書きましたが、北海道に来て2年間は、やはり仕事も生活も180度変わり、悪戦苦闘の日々に趣味のことなど考える余裕はありませんでした。職場の同僚にフライマンがおり、話はよく聞いていましたが、やはり心が動くところまではいきませんでした。
それでも、さすがに北海道3年目の2004年には、公私共に多少の余裕もでき、釣りの虫がうずいてきました。思えば北海道はトラウト(鱒)類の楽園であり、日本中のアングラーの羨望の地ではなかったか、と言うことで自分なりに調べ始め、地元の支笏湖あたりから探検し始めました。
最初のころはぜんぜん釣れず、甘くはないなあと嘆きの日々でしたが、忘れもしないゴールデンウィークのある日、初めてブラウントラウトに出会ってからは、仕事の帰りや休みの日など、クレイジーにルアーを投げまくっていました。
ご参考に2004年の代表的な釣果を示します。

記念すべきファースト・トラウト
buraun
2004/5/6
ブラウントラウト 40センチ弱
支笏湖 苔の洞門下
エコギア グラスミノーL(青バチ)
オリジナルリグ
ダイコー ブルーダ BS-662L
ダイワ TEAMDAIWA-X 2500iA
8lb ナイロン 

北海道では「大衆魚」のヤマメ
yamame
2004/7/16
ヤマメ 
尻別川
スミス ヘブン 3g
ダイワ シルバークリークS 602LRS
シマノ アルテグラ 1000SDH
6lb フロロ 

原始的なアメマス
amemasu
2004/7/16
エゾイワナ(アメマスの陸封型) 
尻別川 留産橋近辺
メップス レインボースケール 2.5g
ダイワ シルバークリークS 602LRS
シマノ アルテグラ 1000SDH
6lb フロロ

あくまで偶然です
tippu
2004/7/17
ヒメマス(チップ)
支笏湖 旧有料道路
スミス ヘブン 3g
ダイコー ブルーダ BS-662L
ダイワ TEAMDAIWA-X 2500iA
8lb ナイロン  

The Biggest One
reinbow
2004/10/20
レインボートラウト 40センチ 
ラルマナイ川
ダイワ チヌークS 2g(青/銀)
ダイワ シルバークリークS 602LRS
シマノ アルテグラ 1000SDH
6lb ナイロン

シーズンの途中は本当に釣れなくなり、一時はフライに転向しようかと本気で考えたこともありましたが、それでもルアーにこだわり続けたのは、やはりスプーンやスピナーの独特の美しさと、こんなものに魚が食いつく不思議さと、バス時代からのルアーマンとしての意地だったのでしょう。
2005年も少ないとは思いますが、地元フィールドでの釣果をアップしていきます。お楽しみに!?

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2005年3月 7日

釣りとの再会(バスフィッシング編)

かれこれ10数年釣りと遠ざかっていたでしょうか。再び釣りとめぐり合ったのは、前職時代の社宅で千葉県に住んでいたとき、会社の友人がブラックバス釣りをやっていると聞いて、ひょんなことから北浦と霞ヶ浦に連れて行ってもらったのが病みつきの始まりでした。その釣行では、バスを掛けたもののバラしてしまいノーフィッシュでした。

それ以来単独でもバスフィッシングに出掛けるようになり、生まれて初めてバスを釣ったのはそれからほどなく、霞ヶ浦でのことでした。その頃はまだビギナーで、いわゆるセオリーと言うのを全く無視して釣っていました。だから、釣れたのは夏の真っ昼間の護岸のシャローで、しかも真っ黄色のクランクベイトでした。特に何の変哲もない場所で、ただ沖に向って投げまくっている最中、グングン引くものを掛けて、それが初バスだったという訳です。

top

以降は主として、千葉県印旛水系(特に印旛新川)をホームフィールドにやっていました。
この写真は、2001年4月22日に印旛新川でゲットした45センチくらいのブラックバスです。確かスティックベイトのノーシンカーリグだったと記憶しています。
残念ながら画像が残っているものではこれが最大ですが、自己記録は50センチをスピナーベイトで取ったことがあります。
もちろん「キャッチ・アンド・リリース」を旨とする、福祉と環境に優しいフィッシャーマンを自負していますが、ブラックバスの場合、一方では生態系を乱す外来の害魚として、リリースしないで駆除するという考えもあるので、福祉と環境という狭間で悩む魚ではあります(もっとも、リリースする以前にキャッチできていないですが)。

約5シーズンほどやったでしょうか。手前味噌ですが、まあ印旛新川ではかなりの腕前になったと自負していますが、北海道に転居することが決まった年の秋、釣り仲間が千葉の野池群に連れて行ってくれ、そこで最初で最後のフローターフィッシングをやらせてくれました。紅葉終盤の晩秋の野池にプカプカ浮かび、水面と同じ目線でするバスフィッシングの本当の醍醐味を、最後の最後になって知った思い出に残る釣行でした(確か40UPを筆頭に3本ゲットしたと思います)。

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2005年3月 5日

ハゼに始まり何で終わる?

趣味のことと言って、先ず書かなければならないのは釣りのことです。いくつかある趣味のうちで、少年時代の夢が徐々にかない、ダイナミックになっていったと言えばやはりこれでしょう。特に北海道に移住したことは、その最高峰を手に入れつつあると言っても過言ではありません。

釣りとの出会いは、子供の頃横浜に住んでいたので、友達に連れて行ってもらい最初にしたのがハゼ釣りでした。釣り道具も大したものは持っていなく、安い竿に太鼓リールをつけて、えさはゴカイか青イソメでやっていました。浮きに反応があり、小さいながらもあの感触は忘れられません。思えばあれが私の釣りの原点であり、病みつきの始まりだったのでしょう。それ以外では本牧ふ頭あたりで夜釣りでフッコ(スズキの若魚)やクロダイもやっていました。

当時「釣りキチ三平」が流行っておりアニメにもなっていましたが、私もその影響を強く受け、それからはどちらかと言うと淡水の釣りに凝っていました。とは言え横浜からの淡水の釣りといえば、どうしても神奈川県の中央部から西の方へ行かなければまともな川などはなく、よく行ったのは相模川の上流の中津川でした。そこでハヤ(ウグイ)などを釣っていたと思います。憧れたのはイワナやヤマメでしたが、父の実家の山形県に行った時、1匹だけイワナを釣っただけです。また「三平」の影響ではルアーフィッシングがありますが、道具だけは一丁前にそろえていましたが、ブラックバスなどの対象魚を釣ったことはありませんでした。「三平」が北海道の釧路湿原で「イトウ」にチャレンジするのですが、それはそれは憧れたものです。

たぶん中一くらいまではこんなことをつづけていたと思いますが、その後CB無線やアマチュア無線、そしてオートバイへとはまっていき、いつしか釣りもしなくなっていきました。

-次回へ続く-

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2005年3月 4日

趣味は細く長く

さて、昨日までは導入として自分のプロフィールを少し詳しく書いてきましたが、今日からしばらくは趣味のことを書かせてください。

「プロフィール」にも書いたとおり、比較的多趣味な私ですが、特徴としては細く長くやっているという感じです。

細く長くと言う意味は、途中休眠状態があっても、環境の変化等でまた復活し、結果的には長くやっているということです。

また、子供(少年)時代からの趣味がほとんどで、当時お金がなく手が出なかったものが、最近ではようやく手が出るようになり、それがきっかけで復活したというものもあります。

まあ、このようなことは誰にでもあることかもしれませんが、皆さんはどうでしょうか?

後から詳しく書いていきます。

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2005年3月 3日

自分の進む道に迷いが生じたとき

特に今の仕事に移ってから、ついつい事務作業に忙殺され、この仕事の「原点」である「人とのふれあい」を忘れかけたり、また時として、自分が福祉を志した「気持ち」に迷いが生じることがあります。そんな時は、再び「原点」に戻るために車の中などで聴く歌があります。

●さだまさし「風に立つライオン」
●SMAP「世界でひとつだけの花」

です。

どちらも有名な歌ですから、皆さんもお聞きになったことがあるのではないでしょうか。

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社会福祉施設職員としての現在の仕事

●2001年 4月 社会福祉士 国家試験合格・登録

●2001年12月 会社退職

●2002年 1月 現職場へ転職~現在に至る

しょうがい関係の社会福祉施設(成人・通所部門)で支援職員として勤務しています。

転職から1年余りは支援係長と兼務して、作業科目に関連する調理業務にも従事していました。もちろん今までの人生で白衣を着たことはおろか、包丁もろくに握ったことはなく、転職当初は本当に悪戦苦闘でした。また、このような作業支援がいったい何になるのか、自分は福祉施設に転職したのにどうして調理師みたいな仕事をしているのだ、といったことに悩むこともありましたが、いつしかそのような悩みも消え、今は「自分も利用者と一緒に成長していくのだ」「一見虚しく思えるどんな仕事でも、必ずどこかで福祉につながっている」という積極的な考えをもって日々利用者支援を行なっています。

現在は支援課長を主務に、前述の作業支援を補助しながら、どちらかと言うとスーパーヴァイザーのような仕事に軸足を置いています。また、経歴からそうなったのか?法人全体の権利擁護活動もさせてもらっています。

蛇足ですが、今の職場では私が最初の社会福祉士で、私が入った年に総合施設長を含め3人、その後1人が社会福祉士を取りました。

●2005年1月 同法人内の「児」の施設へ兼務発令

兼務先では直接支援には携わらず、新規事業の起業や運営管理を担当しています。前にも増して目まぐるしい日々を送っていますが、請負ったからには全力投球、弱音は吐かず業務の完遂を目指します。

なお蛇足ですが、せっかく「児」の施設に関わらせていただくのだから、「保育士」の国家試験を受験しようと思い立ち、勉強を始めました。この年になって「保父」というのも笑ってしまいますが、本人は至って真剣、「おやじ保育士」を目指してピアノなどもやってしまおうかと・・・

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2005年3月 2日

転身への志

昨日の記事に書いたとおり、そもそも私は福祉とはほぼ180度異なる世界に身をおいており、しかもその世界が決して面白くなかった訳でも、つらくて逃げ出したかった訳でもありません。何かのきっかけでもない限り、恐らく会社生活を続け、いっぱしに部長か課長あたりで定年になり、それなりの退職金と年金で余生を過ごすというごく平凡な人生を歩んだことでしょう(もちろん、福祉の仕事とて実は特別なものでも何でもなく、まずは「仕事」自体が平凡であることが、ノーマライゼーションの前提条件であると個人的には思っています)。

ただし、まずひとつ言えることは、プロフィールにも書きましたが、大学時代から漠然と北海道にはいずれ住むことになるだろうと思っていました。

それでは、その「きっかけ」とは何だったのかというと、なかなか体系的に上手く説明できないので、いくつかの事柄を挙げた上で、それらがやや偶発的な「条件」と重なり、運命に導かれたというとキザでしょうか?

●大学(法学部)卒業後、余り考えず安易に誰もがなる「サラリーマン」になってしまい、何となく「資格」を活かせる仕事に未練があったこと
●近親者に福祉関係者と社会福祉士がおり、この「資格」に興味を持ったこと
●身近に「福祉」「支援」「支えあい」といったキーワードを意識するようなできごとがあったこと
●会社時代に出張したデンマークで、福祉のみならず「生活」自体の地域共生という息吹にふれたこと
●出身大学の建学の祖「大隈重信公」が唱えた「在野の精神」が多少?頭の片隅にあったこと

と言ったところです。

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2005年3月 1日

大手企業営業マンとしての経歴

1990年 4月 某株式会社入社(総合重工メーカーで唯一オートバイを製造している会社と言うと判ってしまいますか)

環境装置部門(ごみ焼却施設やリサイクル関連設備など)の人事・勤労職として配属され、その後企画畑、営業畑と歩み、営業係長で退職しました。

中でも営業職が最も長く、最初は自治体向け、次に民間向け、そして最後は新製品の開発営業に従事しました。

会社生活で一番思い出に残っている仕事は、新製品の営業で、家畜糞尿(要するに牛のウンコ)を発酵してガスを取り、それで発電をするというプラントを北海道で受注したことです。このことで北海道との結び付きもより強くなり、その後の人生に少なからず影響を与えたことは間違いありません。

この仕事では、初めてドイツとデンマークの海外出張を経験させてもらい、今は「壁」のないベルリンの視察、そしてデンマークでは首都コペンハーゲンはもちろん、提携先である「フォルケセンター・フォー・リニューアブルエナジー(再生可能な自然エネルギー研究所)」や、岩手県出身の日本人(デンマークに帰化)ステファン・ケンジ・スズキ氏が主宰する「風のがっこう」での自然エネルギーの研修は一生忘れられません。

余談ですが、デンマークは世界有数の高福祉国家であると同時に、原発廃止後は、風力、家畜糞尿、太陽光などに軸足をおくエネルギー政策を採っています。また気候風土が北海道とよく似ており、今後本道が道州制を議論する際、福祉と環境という側面で先輩と仰ぐ国になるのではないでしょうか。

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ご挨拶2

改めてはじめまして。

風邪の方は私は峠を越えましたが、まだ家の中はどことなくウィルスモードです。

さて、今日からしばらくは、私の「風変わり」な経歴や現在のことなどを紹介させていただきたいと思います。

何分「手前味噌」な内容で恐縮ですが、「こんな人間もいるんだ」と呆れていただければ冥利に尽きます。

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